ポーさんの水差し (わらしべあんず)

 こんにちは。
 今年こそ、ライブへの参加を減らすぞ!と心に固く誓って新年を迎えたはずでしたが、行かなかったのは1月だけでした。気付いたら8月まで……あれ?おかしいな?
 こんな愚かな私とは対照的に、今年大学受験だった九州に住む従弟たち2人の進学先が無事に決まりました。1人は迷彩服の大学はやめて関西の大学に、もう1人はセンター試験足切りにもめげずに関東の大学に。楽しく、頑張って欲しいです。
 愚かな従姉は、従弟たちの年頃に何をしていたか、思い出すことにしました…。

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 高校が、高田馬場という駅から歩いて15分くらいのところにあった。
 当時の都立高校には学区というものがあったが、私はわざわざ学区外から無欠席で通ったくらい(遅刻は多かったけど)、愛してやまない高校だ。しかし世間からみたら、いわゆる「イケてる高校」ではないことは、ブロック塀1枚隔てただけの隣の女子校に男子が一切相手にされてないことからも明らかだったし、制服も指定のジャージも朝礼もHRもエアコンも、何もなくて、勉強しろとも言われなかったから、クラスの7割くらいは浪人する、そんな高校だった。

 高田馬場駅には、駅から少し歩いたところに新宿区の中央図書館がある。この図書館の特徴は、2階が児童向け図書と閲覧スペース、3階からが一般図書や閲覧室になっていることである。高校3年生の冬も差し迫った頃、家で全く勉強が手に付かない私は、しばしばこの図書館に立ち寄っていた。

 その日も3階に向かっていた。

 階段を上がっていると、2階の児童室の机に向かう大人の女性に気付いた。勉強しているようだったが、2階は児童向けなので、机の高さが明らかに合ってない。彼女も何かがおかしいと気付いているようだった。

 彼女と目が合った。

 私は児童室に入った。「ここは、児童向けですよ?」と伝えてみるが、日本語が一切通じない。困った。外国の方だ。確かに東南アジア風の顔つきをしている。苦手な英語で「ここは子供のための部屋。私たちの部屋は上の階ですよ。」と伝えたところ、お姉さんは、すごく素敵な笑顔で、手を合わせながら、丁寧に丁寧に私にお礼を言った。

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 お姉さんは、綺麗な英語で話してくれた。

 ・タイから日本にきて10日目であること。
 ・4月から愛知の大学に留学するために、駅と中央図書館の間にある語学学校で
  日本語を勉強しはじめたが、全く日本語が分からない状態で来日したこと。
 ・名前は「ポー」と呼んで欲しいこと。

 「ポーさん、英語上手ですね。私は英語が得意じゃないんです。
  もうすぐ受験なのに。私は日本語の話し相手になるから、
  ポーさんは英語の話し相手になってくれませんか。
  週1回くらい、そこの喫茶店(ドトール)お茶でもしながら。」
 「日本でお友達ができて嬉しいです。こちらこそよろしくお願いします。あんず。」

 人に向かって英語を使ったのは、ポーさんが初めてだったかもしれない。

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 ポーさんは、タイの国費留学生として愛知県芸大の大学院にChina(陶芸とか瀬戸物とか)の研究で来日していた。ポーさんは、明らかに育ちの良さそうな雰囲気を纏っていたし、芸術系で国費留学生、しかも瀬戸焼美濃焼常滑焼など種類も豊富な東海地方の大学への留学となると、ポーさんはとても立派で優秀、その道のエリートに決まっている。しかも女性!かっこいい!!

 家に帰って、うっかりこの話を母にするとお説教が始まった。

 「アンタ!受験生でしょ!人の日本語心配している場合じゃないでしょ!」
 「……。英語の勉強だもん。」
 「ったく。大学行く気あるの!?浪人ダメって言ってるでしょ。」
 「私だって浪人したくないし、向いてないと思う。」
 「向き不向きの問題じゃないでしょ!!入れてもらえるかどうかでしょ!!!!」

 母が怒るのも仕方ないと思った。それでも私はポーさんと会うことをやめなかった。毎週毎週、週1〜2回、携帯電話を持たない私たちは中央図書館で待ち合わせをして、ドトールでコーヒーを飲みながら、おしゃべりをした。

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 年が明けた。

 「ポーさん、もうすぐ受験が始まるから高校も1月末でお休みになるの。
  ここには来られなくなるの。ごめんね。」
 「あんず、頑張ってください。どこ受ける?」
 「K大かS大に行きたいんだけど…。K大は難しそう。」
 「大丈夫だよ。応援してる。大丈夫。」
 「ありがとう。ポーさん、すごく日本語上手になったね。
  会ったときは本当に全然喋れなかったのに。」
 「話し相手になってくれて本当にありがとう。
  あのとき図書館で、すごくすごく心細かったんだ。
  あんず声をかけてくれて本当に嬉しかった。初めてできた日本の友達。」
 「えへへ。私も人と英語で話したのポーさんが初めて。
  ポーさんは、いつ引っ越すの?」
 「3月の終わり」
 「手紙書くね」

 パソコンも持っていなかった2人は、手紙を書く約束をした。

*** 

 2月末、大学受験が終わった。

 正確には、もう1校、受かりもしない一次試験の結果発表と万が一の二次試験が残っていた。志望校のS大に合格していたので、激しく後悔していた。「卒業式は何を着ようかしら♡♡予算いくらまで?♡♡」などとすっかり浮かれていた。
 (母校の卒業式は、なかなかシュールで、ルパンご一行様がいた年、着ぐるみがいた年、色々あるという。私のときは、当時、故松田優作がコーヒーのCMに出ていて、あの髪型&サングラス&スーツ&お帽子で登場し、ステージの上で缶コーヒーを開け、卒業証書を受け取った人がいた。バレリーナ、軍服、紋付袴などは、ごく普通にいる。今でも相変わらずな卒業式なのだろうか。)

【参考】当時の私のスケジュール(抜粋)
 S大試験(2月初旬)→K大の試験&S大発表(2月中旬の同日)→K大発表(2月末)
          →卒業式(3月上旬)→T大後期センター発表(卒業式翌日)→試験(3月中旬)

 母が「ポーさんに雛人形見てもらったらどう?喜ぶんじゃない?」と言った。わが実家は両親の故郷である鹿児島の暦で動いているため、七夕やひな祭りが1ヶ月遅れるので、3月末もひな人形が飾ってあるから丁度いいのではないかと言うのだ。

 「いいね!」

 ポーさんの通っていた専門学校に電話をかけた。
 「T高校の山田といいます。ポーさんはいますか?連絡が欲しいと伝えて欲しいんです。」

 専門学校の受付の人が、たまたま学校にいたポーさんに電話を繋いでくれた。

 「ポーさん!受験終わったよ!ひな人形飾ったからうちに見に来ない?
  ジャパニーズドールフェスティバルフォーガールズ!遊びにおいでよ!」

***

 3月末、ポーさんは、大きな荷物を抱えてわが家にやってきた。
 七段飾りのひな人形を見て、ポーさんは大喜び。何枚も一緒に写真を撮った。 

 「あんず、大学生ですか?」
 「受かった!大学生だよ!ポーさん!」
 「おめでとう!どこ?」
 「T大っていうところ。」
 「えっ?えええええっ!!!!!!!!!!!!!?」

 普段、物静かなポーさんがすごく驚いているからこっちが逆に驚いた。

 「ポーさん知ってるの?」
 「知ってます。みんな知っています。受けるって言ってましたか?」
 「言ってない…。言えなかった…。っていうか、何で願書を出したのか
  よく分からないというか…。ポーさんは私が英語できないの知ってるけど、
  あれで英語とエッセイで受けるとか。1次試験通るとも思ってなかったし…。」
 「ポーにT大の友達ができました。うれしいです。すごいです。」

 ポーさんが大喜びしている。

 「すごくないよ。私はK大に落ちちゃったの。
  みんなにとって行きたい学校かもしれないけど、
  こんなこと言っても、誰も分かってくれないし、
  みんなに冷たい目で見られるんだけど、私、K大に行きたかったんだ。
  もともと行きたかったS大に受かってすごく嬉しくて、行くつもりが、そのあとT大に受かったの。
  語学だったり国際系だったらS大に行ったんだけど、法学部だったら…T大かなと。
  いっぱい考えたんだけど、複雑だね。」

  当時、私はT大とS大のどちらに進むか、ひどく悩んだ後だった。

 「複雑?」
 「あぁ、うーん。I have mixed feelingsで合ってる?
  Because I don't pass the university I wanted to enter....」
 「大丈夫です。あやのさんは英語苦手って言ってますけど、やる気はあります。」
 
***

 ポーさんは抱えてきた大きな荷物を「お礼です」と言って、私にくれた。


 「私に?」
 「おれい。ありがとうあんず。ポーが作りました。」 

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 同じ色合いとデザインの水差しとコーヒーカップとソーサー。
 花瓶の底に「ぽー」と名前が入っていた。
 
 家宝って、こういうもののことを言うのだろうか。
 使うのはあまりに惜しくて、たまにこうやって出しては、眺めてたりしている。
 
***
 
 その後、ポーさんには訪ねてきてくれたときの写真を送ったりしていたのだが、いつのまにか、お互い、途絶えてしまった。「いつか、タイのTVに出て、ポーさんを探す」と心に決めていたけど、facebookのようなグローバルなSocial Networkが発展したおかげで、近いうちに、また、ポーさんに会えると、私は信じている。
 (ちなみにまだ見つかっていない。タイも結婚すると苗字が変わってしまうようなのだが、結婚に際して苗字を変えることは、国家を越えた世界でやりとりをする私たちを特定するのにはいたく不自由な制度だし、日本の歴史からしても、結婚で苗字が変更になるシステムは、おかしい。)
 
大学入学直前の、御伽草子のような話。